~ 君がくれたもの ~3
小次郎と別れて町を去ったあの日。
アパートを引き払って新天地へ出発するという日、小次郎は僕らを見送りに来てくれた。
他の誰にも教えなかった出発の時間を、僕は彼だけに伝えていた。
僕らの荷物は車に乗る分しかなかった。父さんはその車の陰で煙草を吸いながら、僕と小次郎が別れの挨拶を終えるのを待っていてくれた。
「・・・岬」
「小次郎、元気で」
彼は最初から涙目だった。僕は彼の両の手を自分の両手で包み込むようにして握る。湿っぽくて熱い手だった。
「ね、小次郎。僕は引っ越しも転校も繰り返しているから、手紙だって電話だって、続かないことを知ってる。でもね、それはそれでいいんだ。そうしないからといって、僕の中から君がいなくなる訳じゃない。逆もまた言えるよね」
「・・・・・」
だから僕は約束しないし、小次郎にもさせない。「手紙を書くよ」とも「電話をするよ」とも。
だって約束を守れなかったなら、小次郎はそのことを引け目に感じてしまうだろうから。よくも悪くも適当に流すことの出来ない、そういう子だから。
「ただ一つだけ、お願いがあるんだ」
「・・・なんだよ」
「僕のことを、忘れないで」
「・・・お前のことを、忘れるわけ、ないだろ・・・っ!」
「うん。そうだと嬉しい。・・・僕もどこに行っても、きっと君のことを思い出すね。大好きだよ、小次郎」
「・・・みさきっ」
元々朱かった目尻から、瞬く間に大粒の涙があふれ出した。僕は「小次郎は本当に泣き虫だね」と笑う。君は「泣いてなんか、ない」と、明らかな嘘をつく。
強情で嘘つきな君には、少しお仕置きをしなくちゃいけないよね 僕は掴んでいた小次郎の手を引きよせて、彼の目に溜まった涙を舐め取った。小次郎は吃驚したような顔で僕を見たから、それがおかしくてオマケでほっぺたにキスをしてあげた。
「さよなら、小次郎。どうか元気で。・・・君が幸せでありますように」
僕は結局、小次郎の前では最後まで泣かなかった。彼の手を離す瞬間も、車に乗り込んでドアを閉めたその時も。車が走り出すまでは。
少し走って、振り返ってももう彼が見えない場所になってから、僕は初めて泣いた。
これから何度もこの日の別離と、夕焼けに染まる公園のことを思い出すだろう自分のために。
今もまだあの場所で泣き続けているだろう彼のために。
父さんの運転する車に乗って窓の外を眺めながら、僕はいつまでも泣いていた。
****
小次郎は僕を抱きしめたまま眠る。すやすやと子供のように深く眠る彼は、健康優良児そのものだ。たとえキスマークをつけていようとも、上げ続けた声のせいで起きたら喉が少し痛かろうとも。
僕は眠っている彼を見るのが好きだった。食事をしているところも、泣いているところも、おおよそ他人なら別に見たくもない恰好が、好きな人なら殊更に愛しい姿になる。これは不思議なことだと思う。
僕も明日のために、もう一眠りすることにした。小次郎の懐に潜り込むようにして丸まる。外は寒い。けれど彼の腕の中は何処にいるよりも温かくて、ここは僕のための場所なのだと正しく実感できた。
転々と住処を変えてきた僕には、残念ながら故郷といった帰るべき場所は無い。
地に足がついていないようで、そのことがたまに僕を心許なくする。
この家も僕にとってのホームでは無かった。じゃあ父さんのいるところがホームなのかと言えば、それも違った。そもそも父さんは家に居つかなかったのだから、それ以前の問題だ。
父さんは父さんなりに僕を愛してくれたと思う。だけど本音を言うなら、子供の頃の僕はずっと孤独だった。
二人しかいない家族なのに、父さんの心を大きく占めているのは僕ではない。そのことが長い間僕を苦しめた。
でも、もうそれもいい。
僕は僕の居場所を見つけた。僕の可愛い嫁をこうして手にしている。だから、いい。
朝になって目が覚めたら、こう告げよう。愛の告白なんていつもしているけれど、そのたびに照れて真っ赤な顔をする彼が可愛いのだから、何度だって言ってあげる。
愛してる。大好きだよ。
君は僕の居場所で、心の在りかだ。
たとえ何処にいるとしても、僕のホームは君だよ、と 。
END
2015.12.19
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